普及及び啓発事業(よしみを語ろう12選)
よしみを語ろう12選
吉見町コミュニティづくり推進協議会では、郷土に対する親しみと愛着を深めるとともに吉見町のイメージアップを図ることを目的に「よしみを語ろう12選」の選定を進めてきました。
平成21年11月に行った町民参加による投票で1,149票の投票をいただき、「よしみを語ろう12選」が決定しました。
この「よしみを語ろう12選」が吉見町の魅力を再発見するきっかけづくりとなり、末長くみなさんに親しまれるものにしていくとともに新たな観光資源として町内外に発信していきます。
「よしみを語ろう12選」…吉見町を語る時に欠かすことのできない12か所
地図上のポイントや文字については、本ページ内の各項目をご覧ください。

…観光地(文化財)

…観光地

吉見百穴

古墳時代の後期~終末期に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定されました。発掘調査は明治20年に実施され、現在219個の横穴が確認されています。また、穴に自生する国指定天然記念物のヒカリゴケは、植物分布上きわめて貴重なものとされています。
八丁湖

水田耕作のために造られた人工湖で、面積は約52,000平方メートルです。なだらかな山に囲まれ、桜、紅葉など四季折々の豊な自然に恵まれた美しい湖です。また、周囲の遊歩道は約1.8キロメートルほどあり、ジョギングやウォーキングなどを楽しむことができます。
安楽寺(吉見観音)

坂東11番の札所で、古くから吉見観音の名で親しまれています。今から約1,200年前に行基菩薩が開いたと伝えられ、本堂、三重塔、仁王門は県指定の建造物となっています。また、毎年6月18日は本尊の御開帳の日に当たり、「厄除けだんご」で有名な朝観音が開かれます。
道の駅「いちごの里よしみ」

埼玉県で15番目の道の駅として、平成17年4月1日にオープンしました。「いちごの里物産館」、「いちごハウス」、「わんぱく広場」などがあり、子どもから大人までくつろげる施設です。また、隣接してJA農産物直売所があり、地元農産物(米、いちご、野菜、花き等)を販売しています。特にいちごのシーズンには多くの来場者で賑わいます。
ふれあい広場

場内には、1周400メートルのトラックをもつ陸上競技場、野球やソフトボールなどが楽しめる多目的グラウンド、テニスコート(オムニコート3面)、1周約1キロメートルのジョギングコースがある本格的なスポーツ施設です。そのほか、中央広場やピクニック広場などのレクリエーション施設もあり、一年を通じて子どもから大人まで楽しむことができます。
川幅日本一

平成20年2月、国土交通省荒川上流河川事務所の調査で 吉見町大和田と鴻巣市滝馬室の間を流れる荒川の川幅「2,537メートル」が全国最長と確認されました。荒川の普段の川面幅は、30メートル程度ですが、同省は河川敷を含めた両岸の堤防間を「川幅」と定義していることから、今回の調査で日本一ということになりました。県道東松山鴻巣線沿いの大和田地内(右岸堤防)と滝馬室地内(左岸御成橋たもと)に「川幅日本一の標柱」が設置されています。
ポンポン山

武蔵野最古の高負彦根神社(たかおひこねじんじゃ)の境内裏にあり、岩山の中腹を踏みたたくと「ポンポン」と音がすることからその名称がついたといわれています。遠く赤城、男体、筑波の山々を見渡す眺めは絶景です。
町民会館(フレサよしみ)

町の文化創造拠点として、平成17年4月にオープンしました。582席の大ホールのほか、小ホール、楽屋、会議室などがあり、再上階のスカイホールはガラス張りで、町を一望することができます。
コスモス畑

道の駅いちごの里よしみの東側の転作田一面に広がるコスモス畑です。10月の中旬ころに開催されるコスモスまつりでは、コスモスの摘み取りや枝豆狩りなどのイベントが行われます。
松山城跡

比企丘陵の先端に築かれた北武蔵地方屈指の平山城です。現存する城跡は雑木林に覆われていますが、本丸や物見やぐらをはじめ、多くの平場や空堀などがたいへん良好な状態で残っています。平成20年には、すでに国指定であった菅谷館跡(嵐山町)に松山城跡、杉山城跡(嵐山町)及び小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)の3城跡を加え比企城館跡群の一つとして国の史跡に指定されました。
さくら堤公園

ふるさと歩道の設置とともに堤の両側に桜が植えられました。1.8キロメートルにも及ぶ桜堤は、今では県内有数の桜の名所となっています。さいたま市の秋ヶ瀬公園から滑川町の森林公園を結ぶサイクリング道路も整備されており、春には桜と菜の花が辺りを覆い尽くします。
息障院(源範頼館跡)

創建は古く天平年間(730年ごろ)とも、大同年間(806年ごろ)に坂上田村麻呂が開基したとも伝えらています。天慶年間に起きた平将門の乱の際に将門調伏の護摩を修し、その功績により朝廷から息障院の号を下賜されています。当院は源頼朝の弟範頼(のりより)の居館跡とも伝えらえ、この一帯は御所という地名が付けられています。
更新日:2022年02月08日