金剛院銅板経入宝篋印塔
-町指定 考古資料-
吉見町今泉地内の金剛院境内には安永二年(1773年)に建立された近世の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。総高308センチメートルで、昭和57年6月の解体の際に塔の内部から筒状に丸められた銅版の宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)が見つかった。この銅版経は銅の板に経文が刻まれたもので、縦幅14,3センチメートル、横幅36,0センチメートル、厚さ約1ミリメートルである。銅版経の表には宝篋印塔と同年の「安永二年(1773年)三月」の刻印が認められ、裏には「岩殿山主観蓮彫刻之」と刻まれており、安楽寺第九世住職の観蓮によって彫られたものである事がわかる。
銅版経が納められた塔の形状は近世の宝塔に属するが、塔内から宝篋印陀羅尼経が検出されたことから、当時の人々は宝篋印塔として建立したことが伺える。宝篋印塔とは鎌倉時代中期に出現し、宝篋印陀羅尼経という経典を塔内に納め、礼拝供養をおこなった石造塔のことである。
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更新日:2021年04月01日